お店や料理教室で、内堀醸造の臨醐山黒酢や美濃有機純りんご酢、バルサミコ酢を愛用している前沢リカさん。「他には代えのきかない唯一無二のお酢」というほど惚れ込むお酢が、いったいどんなところで、どんな人がつくっているのか。それを知りたくて、長野県にあるアルプス工場を訪ねました。
(2025年6月12日訪問)。
茨城県生まれ。うなぎ店の3女に生まれ、幼少期から厨房で育つ。大学卒業後、ファッション企業に勤めた後、料理の世界に入る。野菜料理と江戸料理の店で経験を積み、2003年に東京・下北沢に「七草」をオープン。和食の基本を押さえつつ、洋のエッセンスも取り入れた料理に定評がある。2017年2月に東京・富ヶ谷の現店舗に移転。料理教室、雑誌等へのレシピ提供も。
いなり寿司とちらし寿司を中心に、柿の葉寿司、朴葉寿司、冬の鍋など不定期のテイクアウトも人気。
(詳細は Instagram : @inari_to_chirashi)
内堀醸造の本社がある岐阜県八百津町から車で約1時間半ほど。アルプス工場は、長野県飯島町にあります。南と中央の2つのアルプスを望み、辺り一面鮮やかな新緑に囲まれ、澄み切った空気のなんと清々しいこと! 標高740mのこの地に工場を構えたのは、酢造りに重要なきれいな水と空気があったからだといいます。
毎朝だしのいい香りがするお酢工場
朝、工場に到着すると、出迎えてくれた工場長の杉江毅さんが「あー、間に合ってよかった。今ちょうどだしをとっているところなんです」と案内してくれたのが、通称「だしとり室」と呼ばれるところ。ステンレス製の大きな釜がいくつも並び、部屋中がだしのいい香りに包まれています。「お酢の工場見学にきて、最初に嗅いだのがお酢の香りではなくだしの香り。意外でした」と前沢さん。
内堀醸造では、すし酢やぽん酢、だし酢などに使われるだしを、毎朝その日に使う分だけとっているといいます。
「うちのお店でも、その日に使う分だけ吸い地(一番だし)をとっていますが、薄く削ったかつお節でさっととるので、すごくきれいな黄金色。でも、こちらの一番だしは赤みが強い。厚削りを煮出していくのでしょうか。一番だしとはいえ、お醤油やお酢と合わせていくので、このくらいしっかりしただしがいいのでしょうね」と前沢さん。
昆布は北海道産の利尻昆布。かつお節の風味と相性がよく、京料理にも使われる上品な風味。「酢や他の調味料を邪魔せず、酢のうま味や風味を引き立ててくれるんです」と杉江さん。
かつお節は、鹿児島の枕崎製造の枯れ節で、香りが高く、うま味が濃い。熟練の社員さんが、その日に使う分だけ、その日の朝に蒸してていねいに削っているというから驚きです。
「しっかりカビ付けされた枯れ節で、中もカチカチで水分がしっかり抜けていて鉱物みたい。本当にいいかつお節を使っているんですね。素材を吟味し、毎日使う分だけを直前に削ってだしをとる。その考え方は、料理店とまったく同じ。工場だからとか、合わせ調味料にするからこのくらいでいいよねという妥協は一切なく、ただひたすらおいしいものを作りたいという姿勢が伝わってきます」(前沢さん)
「酢造りは酒造りから」の理念のもと
精米からすべての工程を自社で
続いて案内されたのは、米麹造りの工程。「わー、お米の甘い香りがしますね」と前沢さん。
そもそも酢造りは、1アルコール発酵(酒造り)、2酢酸発酵(酢造り)、3熟成(風味を落ち着かせる)の3つの工程に大きく分かれています。一般的な醸造酢業では、購入したお酒で酢酸発酵から始めるところもありますが、「酢造りは酒造りから」を理念として掲げる内堀醸造では、米酢であれば、日本酒の原料となる米麹を造るところからのスタート。
「精米から始まり、洗って浸水させ、蒸した米に麹をつけて米麹を造るところからすべて自社で行っているというこだわりがすごい! ちょうど蒸し上がったお米を食べさせていただきましたが、外は意外に硬くて、中はふんわり。普通に食べておいしいご飯だなと思ったら、酒米ではないと聞いて納得しました」(前沢さん)
杉江さん曰く「飲む酒のためのもろみではなく、酢にしたときにおいしいもろみを造ることが重要なので、酒米である必要はなく、米の品種よりもどう造るかが大事」だそう。
米麹ができたら、酒母(日本酒の元)に水、蒸した米、米麹を3回に分けて加えて1か月ほど経つと、酒もろみができ上がります。アルコール発酵しているタンクの中では、ぷくぷくと泡が出ていて、まさに生き物。「なんだか愛しいですね」と前沢さん。
酒もろみができたら、ここからが酢造りの段階。種酢を加えて酢酸発酵を進め、アルコールを酢酸に変えていきます。
熟成させることでさらにおいしいお酢に
酢が完成するまで約1か月ほど。できたら即出荷するのかと思いきや、今度は貯蔵タンクへ。「できたばかりのお酢はツンとしたかどがあるので、熟成させることで、まろやかになり、ほどよい酸味と旨みを感じるおいしいお酢になるんです」と杉江さん。長いもので10年以上熟成させるものもあるとか。
ふと前沢さんが気になって足を止めたのが、巨大なタンクの足元にずらりと並んだ小さな木樽。この中で、バルサミコ酢などの酢を熟成させているといいます。
「内堀さんのバルサミコ酢は、お醤油やみりんと合わせやすいので愛用しています。実際にこうして木樽で熟成させているところを見られるなんて感激ですね」と前沢さん。
木樽にはそれぞれ日付が書かれていて、前沢さんが香りをかいだ木樽には、「2019年1月8日」とありました。
「熟成し始めてから6年以上もここで静かに寝ているんですね。これが瓶詰めされて、わたしのもとにやってくるのはいつになるんだろうと思うとジーンとしてしまいます。酢酸発酵しているタンクや、熟成貯蔵しているタンクの巨大さにも感慨深いものがありますが、サイズ感的にも木樽という意味でも親密感を覚えます」(前沢さん)
働くみなさんの”お酢愛”に感激
「素晴らしい環境のもと、素材にこだわり、丁寧に造っていることにはもちろん、何より感激したのは、工場長の杉江さんをはじめ、働いているみなさんがお酢愛にあふれた”お酢マニア””お酢オタク”だということ。おいしいお酢を造りたいという熱い思いが伝わってきて、みなさんの働いているお姿、お顔が本当に生き生きしているのが印象的でしたね」(前沢さん)
なかでも前沢さんの心に深く残っているのが、社員食堂に貼られていた社員全員の記念写真だったといいます。
「ものすごく親近感がわきました。ああ、この人たちが造っているんだなあと。そして、意外に若い人たちが多かったり、育休中の人もいたりして、会社として働きやすい環境をつくっているということが写真から伝わってきました」(前沢さん)
内堀醸造は、若手の採用・育成に積極的で、若者の雇用管理の状況が優良だとして「ユースエール認定」を、子育てサポート企業として「くるみん認定」を厚生労働省から受けています。さらには「岐阜県ワーク・ライフ・バランス推進エクセレント企業」にも認定されています。
「地元出身の人がほとんどで、親子2代で働いている人もいるなど、地域に密着しているところも素敵。社員食堂では、自社のお酢が使い放題の冷蔵庫もあって、好きなお酢をかけて食べているというのもいい。どこを見ても何を聞いても、こちらが温かく優しい気持ちになるのは、恐らくトップのお人柄なのだろうと思っていたら、最後に社長にお目にかかって納得しました。穏やかな笑顔と好奇心と探求心いっぱいのキラキラした瞳でお酢愛を語る姿に、社長の精神が全社員に染みわたっているのだなあと。内堀醸造のお酢がきれいな味なのは、環境はもちろんですが、造っている人の心が純粋だからなのだと感じました。今後、お店や料理教室で内堀さんのお酢を使うたびに、みなさんの顔や工場の景色が浮かんできて、気持ちがグッと入りそうです」(前沢さん)
取材日:2025年6月12日
(Edit & Text : Noriko Wada Photo: Yosuke Suzuki)